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こてつ最後の3日間-1月22日(2)-

昨日はバレンタインデーで、2週連続の記録的大雪で、そして羽生くんの金メダルという、てんこもりな一日になりましたね。
電車が止まる危険もあったけど、昨日はケンヤちゃんが会社の有休奨励日でお休みだったので、こなつは大丈夫と安心して結局定時まで仕事してました。
しかし、あえてバレンタインデーに有休奨励日を設定するケンヤちゃんの会社って・・・ (๑ ̄∀ ̄)

そして男子フィギュアの日本人3選手の滑り、深夜に起きてしっかり生で見てました。
みんな頑張ったね、特に高橋大輔の演技には胸がいっぱいで涙が・・・笑顔で終わってよかったよ~。




さて、こてつ最後の日。
この先の写真、こてつの亡骸も写っています。

職場でケンヤちゃんからこてつの訃報を受けて、電話を終えてからトイレに駆けこんで、30分くらい出られませんでした。
どうにか午前の仕事を終え、午後と翌日の休暇をもらい、帰る電車の中で、ずっと涙が止まりませんでした。

家に帰って、ダイニングテーブルに置かれたクレートに眠るこてつを見て、泣き崩れました。
眠っているような顔なのに、もう冷たくて、目を開けてくれない。
いくらキスをしても応えてくれないのです。

しばらく放心状態でしたが、こてつの旅立ちを恥ずかしくないようにちゃんとしてあげないとという思いで、動き出せました。

まずは葬儀の手配。
ナッちゃんがお世話になった系列で、翌日13時にお願いする事に決定。
持っていくもの、写真・お花・食べ物など。

そして、こてつの身体をきれいにしました。
新品のタオルを敷いて、ブラッシング、爪切り、パットのむだ毛処理、歯磨き、、、
爪切りは血を出して悲鳴をあげられてから怖くて、自分で切ってあげたのはもう何年ぶりだったろう。


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お花を買って、こてつの好きだったパン屋のクリームパンも・・・と思ったら売り切れで、代わりにプリンを買いました。
プリンもこてつが最後まで口にしてくれたものです。

母にも来てもらって、最後に会ってもらいました。


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こなつは、こてつの周りに置かれたおやつやオモチャには関心を示すけど、こてつの事は見ようとしませんでした。


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普段このベッドはほとんど使わないのに、この日はここに籠ってたこなつ。


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こて兄ちゃんと一緒の最後の晩餐・・・


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etsu*ちゃん、電話をありがとう。

夜には横浜からKYOKOちゃん達が駆けつけてくれて、一緒に過ごしてくれたおかげで、懐かしい思い出話や、一緒に泣いたり、賑やかに過ごすことが出来ました。
こういう時、人が来てくれるのってありがたいなぁって感じました。
それにお花とボール詰め合わせ、それに甘いものをありがとう。

こてつ、最後にモッさんに会えるなんて思ってなかっただろうから、きっとはにかみながら喜んでるよ。

それにメールやメッセージで、たくさんの支えをもらいました。
こてつがつないでくれた縁のありがたさを感じます。


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こてつ、ありがとう。
こてつの笑顔が大好きだった。
ボールを追いかける姿も、プールに飛び込む姿も、雪山を駆ける姿も、かっこよくて誇らしかったよ。
うちの子になってくれてありがとうね。
たくさんの幸せをありがとう。

また会おうね。
またうちの子になってね。
大好きだよ。大好きだよ。永遠にだよ。

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こてつ最後の3日間-1月22日(1)-

時間をかけての更新になってしまってますが、とうとうこてつ最後の日の事です。
書きたい思いはたくさんあるけど、なかなかまとまりません。

-1月21日-の記事にいただいた、みゅうぽんままさんとasanoさんのコメントを読んで、号泣してしまいました。
あの蛍の歌詞は、わたしからこてこなへの気持ちだったけど、こてつも同じように思ってくれて、こてつからのプレゼントだとしたら、なんて幸せなんだろう。
幸せで涙が出ました。

みゅうぽんままさん、asanoさん、気づかせてくれてありがとうございます。


そして1月22日、水曜日の事です。

こてつはケンヤちゃんの足元で寝ていたそうで、ケンヤが向きを変えて寄り添って寝ていたらしい。
まだ暗い4時頃、トイレでオシッコをしたそうです。
こてつは最後までおもらしする事はなかったなぁ。

朝が来て、こてつおはよう、と声をかけるけど、お目目だけが動きます。
ずっとそばについていて、撫でながら話しかけて、なんだか離れられなくて、とうとう7時、会社に行くなら超特急で支度をしないとまずい時間が来てしまいました。


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このチョークは、昔からの大好きな友人(犬)たちからのプレゼントです。
革職人miuちん作で『friends of us』の刻印と、内側にはこてこなの友の名前が刻まれて想いのこめられた、世界にひとつだけの宝物です。

こてつの入院中に届いて、見た瞬間号泣しちゃいました。

その後こてつは退院してきたけれど、首のドレーンの為に包帯巻き巻きだったから、これが外れてからと思って、まだこてつには一度もつけていませんでした。


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でも、この朝、今つけないとという思いに急かされたのです。

横たわるこてつの頭をちょっとだけ持ち上げて、つけてみました。


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うん、こてつ、よく似合うよ。

するとケンヤちゃんが「いいなー、こてつ、写真撮ってもらい」と言うので、急に我慢していた涙がこみあげてきてしまいました。
こてつには笑顔を見せようと思っていたのにな。

多分、わかっていました。
こてつはもう行くのかもしれないと心のどこかで思っていたんです。
それでもこてつに「待っててね」と言いました。
何度もキスをしたけど、こてつはちょっと顔をあげてくれたものの、今までのしつこいほどのチューはありませんでした。
もう口を開けるのもしんどかったんだと思います。

別れ際に「こてつ、大好きだよ。分かってるよね」と言ってから家を出ました。
乗ろうと思っていた電車に乗りそびれて、もしかしたら会社に行かない方がいいという事だったのかもしれないけど、胸騒ぎをかかえながら会社に向かったのです。

この日はホームドクターのところで点滴を受けさせる為に、ケンヤちゃんが朝連れていく事になっていました。
わたしはもしこの日病院に連れていかないなら、休んでこてつと一緒に家で過ごしたいと思っていたけれど、ケンヤちゃんはまったく諦めていなかったのです。

10時前にメールが入って、体重4.25キロ、血糖値の数値は下がって160、正常値より高めくらいという連絡。
それと「時々頭をもたげて家より少しは調子は良さそうです」と書かれているとおり、顔をあげて目をあけて点滴を受けているこてつの写真。
血液検査を待っている間、ケンヤが出した水も飲んだと言います。


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これがその時送られてきた写真。
長年こてこなのブロマイドPHOTO撮りにこだわって、カメラもこだわって、うんざりされるほどモデルをしてもらってきたけれど、最後はケンヤちゃんのスマホ撮りかぁ。

でもこのメールと写真をもらって安心したんです。
うん、しっかり顔をあげて、こてつは大丈夫、って。

でも、11時過ぎ、ケンヤちゃんから携帯に電話が。
ビタミンCはしないとメールに書いてあったけど、その変更の連絡かなと思いながら受けたら、「こてつが亡くなった」という涙声。
一瞬呆然として、次に湧きあがったのは怒りでした。
だから病院に連れていきたくなかったのに!
でもすぐに反省しました。
ケンヤちゃんはこてつの回復を諦めなかったから、今日も休んで病院にこてつに付き添っていてくれた。
こてつはひとりじゃなく、ケンヤと一緒に安心して逝けたんだよね。

というか、ケンヤとふたりきりの時を選んだんだと思うのです。
きっとその場にいたら、わたしはパニックになって、家でも病院でも泣き喚いたと思うから。
わたしに心配かけないように、こなつをびっくりさせないように、最後まで兄貴としての威厳をたもつ為に。
ママ大好きなこてつだったから、やさしさと強さを最後にも見せてくれたんですよね。

こてつの最後の瞬間は、写真のとおり病院で点滴を受けている時。

第二診察室を開けてもらって、そこにこてつとケンヤちゃんはいたそうです。
ケンヤちゃんは付き添いながら高濃度ビタミンCについて調布の病院に電話したり、高カロリー点滴についてネットで調べた病院に問合せしようと、どこまでも諦めていなかった、その矢先。

こてつが顔をもたげたから水?と差し出したけど飲まず、ケンヤちゃんから顔を背けてウグッウグッウグッと3回えづき、おかしいと顔をのぞきこんだその時には、もう口をあけていて舌は真っ白。
急いで先生を呼んで、蘇生措置をしてもらったけど、こてつは二度と戻ってこなかったそうです。

そうだよね。
こてつが行くって決めたんだもん。
一度決めたら後戻りはしないのが男だもんね。

苦しまなかったと聞いただけで、本当にホッとしました。
もちろん、こてつは見せなかっただけで、じっと痛みや苦しさと闘っていたのかもしれません。
でもその日までトイレにも行き、水も飲み、呼吸も穏やかなこてつの静かな旅立ちは、少しだけ気持ちを落ち着けさせてくれました。


・・・すみません、長くなっちゃったので、もうちょっとだけ続けさせてください。

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こてつ最後の3日間-1月21日-

こてつと別れて2週間。

こてつは大リーグに行った事になってます。
巣立って世界のどこかで元気にやっていると思うことにして、心慰めてます。


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写真は、1月21日夜のこてつです。
亡くなる前日のこと、書き残しておきます。


前夜も嘔吐したこてつ。
日に日に体力が落ち衰弱していっています。
夜は酸素を吸入させながら寝ました。

そして朝は、シリンジでケンヤちゃんがご飯を食べさせました。
いやいやだけど、ちゃんと飲みこんでくれたんです。

そして、今日は病院へ連れていこうと、ケンヤちゃんはフレックス、わたしは午前半休の予定で、こてつを連れて朝9時、予約してないけど池尻へ。

ケンヤちゃんは朝いちで電話会議があるとかで、車中から会議に参加する為、病院前でわたしとこてつを降ろしてもらいました。
ブランケットにくるんだこてつを見るとスタッフさんもすぐに診察室へ案内してくれました。
こてつ、診察台に乗せるとすぐにへなへなとなってしまうけど、時々立ち上がります。
体重4.16キロ、体温38.6℃。
もうこなつの半分の重さになっちゃいました。
抱っこしてても本当に軽くて・・・。

昨夜嘔吐したものを瓶に入れてきたので、E先生に見てもらいました。
検査はしなかったけど、胆汁とご飯が混じっていると。

<血液検査>
白血球 23000
赤血球 571
TP 4.5
ALB 2.6
血糖値 423

歯茎や耳が白かったので、てっきり貧血だと思ったら赤血球数は正常値(循環器が弱ってるせいでした)。
白血球も急上昇しているわけではなく、土曜日の31800よりは良くなっている。
TP(総タンパク質)とALB(アルブミン)についても、逆に数値が上がっているくらい。
それなのにこんなに衰弱してしまっているので逆に心配になる。
そもそも栄養が取れていないので筋肉が無くなってしまっている。

一日点滴と首のドレーンから高カロリー輸液の点滴をしてもらう為に、預けてきました。
ICUに入れられるこてつ。
どうかどうか回復してくれますように。

仕事中も気もそぞれで、いつ病院から電話が入るんじゃないかと怖かったです。

そんな仕事中、ネットで調べると血糖値の423は、高血糖で糖尿病の治療が必要なレベルでした。
症状として、水をガム飲みする、急激に痩せる、吐き気や嘔吐が起こる、相当だるい、などこてつに当てはまるものがある。
こてつが今ぐったりしているのは、高血糖のせいかもしれない。
この治療をすれば調子が良くなってくれるかもしれない、と逆に希望を持ったものです。

ケンヤちゃんが夜お迎えに行く時に、E先生に血糖値のことを確認をしてもらうようお願いしました。
でも、先生も気になったそうだけど、一度の検査でじゃあ即インスリンの投与をしよう、と行く状態ではなく、翌日ホームドクターに連れていくなら、もう一度血液検査をして判断してみては、との見解でした。

夜、病院から無事帰ってきて、酸素室に入れるとおとなしく入ってます。
夜ごはんをあげるかどうか迷う…。
ケンヤちゃんは、今は口からは何も入れずに胃腸を休めさせて、落ち着くまで高カロリー輸液でつなぐべきだと言う。
せっかくこの夜ベジサポが届いたのだけど、くったりしているこてつに無理にご飯を食べさせるのも忍びなく、ご飯はやめておきました。
明日はホームドクターのところで点滴してもらおうね。

こなつを遊ばせながら横になっていると、こてつがやって来て、お尻を向けて枕元に寝ました。
そばがいいんだね。
痩せちゃった身体を撫でてました。
この日、半日入院中に抜糸をしてくれていたので、ぐるぐる巻きの包帯がとれてよかったね。


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実は、この夜、こてつとケンヤちゃんが帰ってくる前に、iPhoneから福山雅治の「蛍」が流れ始めたんです。
そんな操作してないのに突然曲が流れ始めて、わたしはパニックになりました。
「蛍」は、わたしの中でこてこなの曲なんです。

今 君だけを見つめてる
怒った顔も 
笑った顔も
この言葉じゃきっと足りないけど
君が好き

こなつがリンパ腫かもと言われた日の夜、福山のライブがあって生歌を聴いたのですが、このサビがとても沁みて、それから特別な意味を持った曲になったのでした。
それがこのタイミングで突然流れたことが、こてつに何か起こるんじゃないかという予感で怖くてたまらなかった。

そして、これがこてつ最後の夜になりました。

そんな予感を持ちつつも、わたしとこなつはぐーすか寝ていたのですが(自分が悲しい)、ケンヤちゃんによれば、こてつはほとんど寝られずにまんじりとしていたみたいです。
酸素室に入らないので、酸素チューブを鼻先に置いていましたが、呼吸は静かでした。
嘔吐もなく、とても静かな夜でした。

今思うと、蛍が流れたのは、本当にこてつからのサインだったのかな、という気がします。
こてつはママにはやさしいから、ちょっと覚悟決めとけよ、とあらかじめ知らせてくれたのかも。
ふふ、粋なやり方だね。
でも、急にこの曲が流れ始めた時は、本当に怖くてパニックになったよ、こてつ。


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初七日過ぎても

もう2月になりました。
こてつとお別れしてもう10日です。

1月28日が初七日でした。

こてつ、散々お空を駆け回ったと思うけど、無事に三途の川に着いたかな。


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<2006年GW 北海道・東北旅行>

一度恐山に行って三途の川の場所も確認したから、迷わず行けたと思うけど。


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<2008年GW みちのく旅行>

川を見たら泳ぎたくなっちゃうんじゃないかと心配だよ。
広い川だから、ちゃんと船で渡ろうね。

渡し賃を持たせるの忘れちゃったけど・・・飛び乗っちゃえ。


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<2008年GW みちのく旅行>

船は気持ちいい?
こてつ、大好きだったよね。



<2005年8月 伊豆旅行>

船からこんな風に飛び込んじゃう気もするなぁ。
船頭さんに怒られても、キレちゃダメだよ。


・・・と、ほぼ無宗教だけど、こういう想像はしてちょっと笑ったりしています。


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<2006年5月28日 こてつ5歳の誕生日>

こてつの写真を見るのは大丈夫です。
たくさん旅行して、たくさん思い出を作って、たくさん写真を撮っておいてよかったと思っています。
写真や動画を見返しては、こてつかわいかったなぁ、とか、さすがかっこいい!とにまにましています。

ただ、こてつがいない未来のことを考えると駄目ですね。
今日も、梅のつぼみを見つけて、春になったら一緒に見に・・・と思った途端に、胸がぎゅっと潰れました。

それと、まだ人にこてつが亡くなった事を言えません。
言おうとすると、咽喉がつまって駄目です。


こてつの魂はどこにいるんだろう。

天国?
お空?
お星様?
虹の橋?

どれも合ってるようで、どれも違うような気がしてしまいます。

こてつは幸せだったよ、とたくさんの人に言ってもらっています。
そうだったかな。
そうだったら嬉しいし、こてつが家族を大好きでいてくれた気持ちを疑うことはまったくありません。

でも、やっぱり残された者の寂しい気持ちはどうしようもないですね。
こてつがうちに来てから12年8ヶ月18日、私は会わなかった日は1日だってありません。
これね、ひそかな自慢です。
預けても、出張にいっても、必ず次の日には帰ってきて会ってました。

でも、もっともっとかわいがってあげればよかった、という後悔があります。
「こてつはお兄ちゃんなんだから」という言葉で、こてつに我慢をさせた事はたくさんあります。
特にこなつがリンパ腫になってからの2年間は、「こなちゃん、病気なんだよ」と、そんな機会も増えていました。
こてつには関係ないよね。
好きでお兄ちゃんになったわけじゃないもんね。

こてつは、こなつがいると強気だけど、こなつがいないと鬼軍曹どころか、ふにゃふにゃの甘えっ子ちゃんなんです。
わたしにべったりで、ひとまわり小さくなったみたいになります。


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<2013年9月 代官山>

そんなこてつが、ママがいなくて大丈夫なのかな。
はふん・・・


しばらくこんな呟きが多いと思いますが、おゆるしください。。。


あ、こてつ最後の3日間の記事は、必ず書きます。
あまり読みたくない方もいるかもしれないけど、こてつ、ほんとに頑張ってくれたんです。
だから、それを忘れないためにも書き残させてください。

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こてつ最後の3日間(1/20)

こてつがいない一週間が始まってしまいました。

先週の月曜日(1/20)は、わたしは会社を休んで、1日こてこなと一緒にいたのです。
日曜日のことはブログでも書いていますが、ひなたぼっこをして、酸素室は自由に出入りできるようにケンヤちゃんが改良したけどほとんど使わず、比較的穏やかに過ぎました。
でも、月曜日の早朝、大量に嘔吐してその後ぐったりしてしまったのです。
留守させるのは心配なので、会社にはお休みをもらって様子を見ることにしたのでした。


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朝9時半頃のこてつ。

ご飯はシリンジで流動食30mlほどを朝昼晩の3回。

水を飲みに起きる以外は、ほとんど寝たきり。
お水のタイミングでトイレにも誘導したので、ふらつく足取りながらもトイレに入り、いつもの通り足をほんのちょっぴりだけ上げる男の矜持も見せてくれました。



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12時半頃のこてつ。

観音扉の片側は開放して、せっかくの酸素が逃げないように冷蔵庫用の冷気をシャットアウトするビニールをつけてます。営業所の人おすすめの方法です。


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10分も経たないうちに出てきちゃいました。
まあ、出ても大丈夫ならいいか。


午後、こなつをお散歩に連れ出そうとしたら、こてつが顔を上げて見るので、スリングに入れて一緒に外の空気を吸ってきました。


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ひとり抱っこで、ひとり元気に歩く姿は、今までだったら逆でした。
お台場に行っても、こなつがリンパ腫になってからは、よくケンヤがこなつを抱っこして、わたしはこてつと歩いて、「こてつが元気でいてくれて良かった~。腰痛いからこてつまで抱っこじゃ大変だもん」なんてこてつと話したものです。
こてつは「当然だろ」って顔で見上げて、スタスタと文句言わず何時間でも歩いてくれました。

お散歩から戻って、こてつを布団に戻すと、くたんと力なく横たわってしまって、ほんの15分くらいの外出が負担になってしまったのか。
それでも呼吸は静かで、酸素室に入ることもなく、また、入れる必要も感じないほど穏やかでした。
こてつのそばで寝息を聞きながらわたしも横になっていました。
こてつはわたしを見つめ続けてくれて、その目を見ていたら、お別れが近いような気がして、わたしは泣き笑いで「こてつ、大好きだよ」と言い続けていました。

もしかしたらこの時、病院に連れて行った方がよかったのか。
夜、帰ってきたケンヤちゃんはこてつを見て、かなり衰弱してこのままじゃ危ないよ!と、わたしを責めました。
でも、病院で何時間も点滴をしたら、その間こてつは独りで、おそらくそう遠くないお別れまでの貴重な時間を離れなきゃいけないのが嫌だったんです。
おひさまが差し込む部屋で、わたしとこなつとゆっくり過ごしたほうが幸せだと思った。
ねえ、こてつ、どうしたらよかったのかな。

ずっとぐったりしていたこてつだけど、夜ごはんをシリンジで食べた後、とととと、とキッチンまで来ました。
あ、わが家、なぜかキッチンにこてこなのオモチャが置いてあるのですね。
いつも夜ご飯を食べた後がこてつの遊びの時間なのです。
お目目ぱっちり開いて、オモチャが出てくるのを首を伸ばして待つのはいつもの姿。
どのオモチャやハイバインドボールを見せても、うーん、これじゃない・・・と、こてつの欲しいものを出せなくて、たいして遊んでくれませんでした(涙)
でも、歩いてオモチャを取りに来てくれただけで、本当に嬉しかった。
昼間、もうお別れなんだね、と泣いた自分がばかだったなぁ、と笑えたんです。

でも、その後はずっとまた寝たきりで、ケンヤちゃんは救急病院や24時間やっている病院に連絡したけど、こてつが池尻でやっている高濃度カロリー輸液は置いてなくて諦めました。

23時頃、寝る前に嘔吐。
ごめん・・・と言いたげに上目遣いするから、いいんだよー気にすることないよー、と宥めて寝かせました。

酸素室には入らないので、チューブの吸入器を鼻先にあてがって夜を過ごしました。

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